ペテロの家/Peter's House
これはペテロの家だった(と思われている)ところに建てられた教会です。教会の下に「ペテロの家」があります。
カトリックは、ここがペテロの家だったと比定していますが、それは昔からここがペテロの家だったと言われてきたからです。伝承によればペテロの家は、湖岸近くの、村の主要な南北道路の東脇にあったとのことです。
「そのような伝承があるからこれはペテロの家だ」と言われても、「ハイそうですか」と納得するわけには行きません。しかし、他にもペテロの家だと考えられる理由があるようです。この「ペテロの家」は他の家とは異なり、床が敷かれ、壁には装飾が施されたり、宗教的な絵が彫られたりしていました。さらに、非常に多くのオイルランプが見つかる一方で日常生活に用いる陶器は見つからなかったとのことです。そのような状況証拠から、少なくとも当時のクリスチャンの集会場だったことが伺えます。ペテロが使徒の間でリーダーシップを発揮していましたから、自宅をその目的のために開放していたとしてもまったく不思議ではありません。そのようなわけで、ここはペテロの家だったと妄想されています。
しかしわたしとしては、ペテロの家だったかどうかは五分五分といったところです。その可能性もありますし、他の裕福な人の家だったかもしれません。教皇権を強調するために何でも「ペテロ」と冠するのはやり過ぎです。「1世期のクリスチャンの集会場教会」とすれば中立的で好感がもてたのですが。
なお、上の写真の遺構は5世紀頃の教会の一部です。
教会はまるで宙に浮いているUFOのように作られています。中心のガラス張りから「ペテロの家」を覗くことができます。
誰のものか決定的な証拠のない家を「ペテロの家」としてそれを偶像にするのではなく、むしろその「ペテロの家」にはマリア崇拝の遺物も聖人崇拝の遺物もなかったことから考察を深めるべきではないかと思うのですが、読者がこの「ペテロの家」についてどう考えるかはまったくの自由です。