聖書の復習、古代史の復習、死海文書やクムラン宗団についての勉強、パレスチナ問題、中東紛争の復習、現代的テロ構造の勉強をしておかなければ、見落とすものは少なくないでしょう。思い立ってから2か月の間、ずっと本から学んでいました。
その中で読んで意味があったと思える本を少し挙げておこうと思います。
ノーマン・ゴルブ著、前田啓子訳『死海文書は誰が書いたか?』
一般に死海文書を書いたのはエッセネ派の人々で、エッセネ派の人々はクムランで共同生活をおくっていたと考えられていますが(修道院生活ではありません。当時には修道院制度はありませんでしたから。「エッセネ派の人々が修道院で生活していた」と書いてしまう人は思考が雑過ぎます)、安易にそう考えるのは危ういものであることを思い知らされました。
大プリニウスによれば、エッセネ派は、エリコの南、エン・ゲディ(マサダ要塞付近)の北、死海の近くで集団生活を送っていたようですが、エン・ゲディをエルサレムに次ぐ豊かな土地としていたりと、微妙に場所が違うように思えなくもありません。また、清らかな独身主義を実践するエッセネ派の遺跡というはずなのに女性や子供の墓が見つかったりしています。クムラン遺跡は、エッセネ派とハマりそうでピタリとハマらない要素が少なくありません。
死海の西側で、岸[から]の有害な蒸気の達しない所に、エッセネ派(Esseni)の孤立した部族が[住んでいる]。それは、世界中の他のすべての部族が及びもしない驚嘆すべき部族である。女性を入れず、性欲を断ち切り、金をもたず、棕櫚だけを伴侶としているからである。来る日も来る日も、[人生の試練から]逃れた者たちの群れが受け入れられ、それと同じ数の、人生に疲れ、彼らの生き方に倣うために運命の大波によってそこに追いやられた者たちが受け入れられている。こうして何千年もの間(語るに信じ難いことであるが)、そこにおいて誰も生まれない種族が永遠に生きつづけている。彼らにとっては、他の者たちの人生の疲れが豊かな実りとなっている。
これらの者たちの[住む]下に横たわるのは、土地の豊かさや棕櫚の森などでエルサレムにつぐ、だが今はエルサレムのように灰土の山となったエン・ゲディの町だった。 (秦剛平訳『死海文書のすべて』、p.144-145。大プリニウス著『自然誌』5-73から)
彼らは快楽を悪徳として退け、節制と情熱の抑制を特別な徳と見なしている。彼らは結婚を蔑視するが、他人の子供を、まだ素直でたわめやすいうちに養子にし、自分の血族のように扱い、彼ら自身の生き方にしたがって彼らを型にはめる。これは彼らが結婚を廃して種族の保存を捨ててしまうためではなく、女性の奔放な生き方から身を守るためであり、女というものは、決して、ひとりの男性に貞節を尽くすものではないと信じていたからである。(同、P173。ヨセフス著『ユダヤ戦記』2-120から)。しかし、クムラン遺跡と死海文書をエッセネ派の人々と結びつけて考えるのがオーソドックスな見解です。その解説書としてスタンダードなのは、
ジェームス・C. ヴァンダーカム著、秦剛平訳『死海文書のすべて』
だと思います。
死海文書関連の書籍は数多くありますが、センセーショナルだったり、ミスリーディングだったりと駄目な解説本は少なくありません。高尾利数氏の翻訳はおすすめしません(翻訳者は翻訳の品質のみならず対象選定のセンス・責任も求められます。翻訳者は読者の代表なのですから)。時間があるのなら何冊も読み比べるのは良いことだと思います。
エッセネ派そのものについての一次資料(翻訳なので二次資料ですが)については、
土岐健治著『死海写本 「最古の聖書」を読む』
の「補遺−エッセネ派に関する古代資料」が良いです。
なお、同著は死海文書についての知識がゼロの状態で読むと手強く、得るものは少ないでしょう。何冊か読んだ後に復習の目的で読むのがベストです。
古代史の復習には、
フラウィウス・ヨセフス著、秦剛平訳『ユダヤ古代誌』
のシリーズが適当だと思います。民数や申命の眠たくなる律法を読まずに済みます。
1から3まではヨセフスがヘブライ語聖書を語り直したものです。聖書本文には語られていない行間がうめられていますが、ヨセフスによるもっともらしい捏造や改ざんがあることに注意して読まなければなりません。
その他コンパクトにまとめられた受験参考書のような本等有益な書籍は他にもありましたが、本の紹介はきりがないので、このあたりで終えることにします。