イスラエルへの旅行を思い立って準備に2か月、旅行そのものは2週間、ブログにまとめるのに1か月半、合計4か月の間イスラエルで遊ぶことができました。イスラエルは、最近ではITCビジネスで縁がありますが、それでも一般的に日本人には縁遠いところです。イスラエルを旅行する日本人といえば、シニアの聖地巡礼者か、世界を巡る若い旅行者くらいでしょう。
宗教的バックグラウンドがあろうとなかろうと、行くところは同じです。そこで見るものも同じですが、見え方や感じ方は人それぞれです。それまでの積み重ねによって見え方は違ってきます。対象が宗教的なものなので、当然それについての基礎的な知識や情報、歴史についての理解がなければ古い建物と異国的なものを見て満足しそれで終わることになるでしょう。とはいえ、旅の楽しみ方は人それぞれですから、読者の皆さんは好きにされればよろしいかと思います。
イスラエルでは、キリスト教だけでなく、その母体だったユダヤ教と、イスラム教といったアブラハムの宗教を同時に見ることができます。なお今ここで「キリスト教」と書きましたが、それは旧派のキリスト教のことです。プロテスタントはイスラエルではほとんど存在感がありません。イスラエルはキリスト教発祥の地なのに、信仰の点で最もだらしなかったのがキリスト教です。ユダヤ教やイスラム教は偶像崇拝禁止≒一神教を守りつづけています。このことは特に難しいことではありません。ただ一人の神を崇拝していれば良いだけですし、偶像を作らなければ済むことです。イスラム教もユダヤ教も難なくそれを実践しています。なのに、旧派キリスト教はマリア崇拝や聖人崇拝を取り込み、実質的に多神教に堕しています。偶像は崇拝様式の一部になっています。さらにはユダヤ教やイスラム教にもない三位一体というアクロバティックな教理まで唱えています。もしモーセがエルサレムに陣取っているキリスト教を見たなら、十戒の刻まれた石版を叩き割っていることでしょう。
多神教が駄目だと言っているのではありません。自分たちは一神教なのだと言いながら、その実体において多神教化し、それでいて平気でいるところです。ナタナエルは偽りのない人でしたが、教会は欺瞞で満ちています。キリスト教はユダヤ教やイスラム教のストイックなところを見習う必要があります。そうでないのなら、一神教の皮を被った何か別のものだと白状すべきです。
「聖地」と言ってしまうとチープですが、イスラエルは聖書ゆかりの地です。どこに行っても聖書のエピソードと結びつけることが可能です。しかし地元に住んでいる人の意識においては、そうした由緒も、古い遺跡、観光客相手の商売のネタといった程度のものでしかありません。それにわたしは失望しました。しかしそれは日本でも同じで、なにがしかの由緒があるところであっても、地元に住む人々はそうしたことをほんとんど意識せずに日々の生活に追われています。「聖地」に憧れを抱いて世界中からやってくる巡礼者との間には大きな溝がありますが、それも仕方のないことです。それがリアルであり現実です。では、イスラエルという「聖地」には聖地のようなものは何も残っていないのかというと、そういうことはなくて、わたしの観点では、山や川や湖や、地中海性気候は残っていました。その点において、わたしがイスラエルの一部を歩いたことには意味がありました。
2017年6月10日土曜日
2017年6月9日金曜日
出国/Departure
チェックインと出国審査手続きは、離陸の3時間前から始まります。わたしはオンラインでチェックインは済ませていたので、荷物を預けるために並んでいたのですが、その時から既に出国審査は始まっていたようです。写真を撮っていたら怒られました。
預け荷物の列に並んでいる段階から、パスポートの顔チェックが行われました。
似ていないのか、他のIDカードを持っていないか尋ねられました。日焼けしたせいでしょうか。別の人が確認にやってきてパスし、別室行きは免れました。
次は、預け荷物についての質問です。尖ったものはないかとか、他の人から預かったものは入っていないかとか、荷物から離れたりしなかったかとか等尋ねられました。
「ゆっくり話して」と言ったら英語が得意でないことがバレたようで、モニタに日本語の質問文と答えの選択肢を表示してくれました。
その後、これまでに経験したことがないほど厳密な携帯品検査と身体検査が行われました。
身体検査は非常に厳格で、手袋をはめた手で体中を触り、異物がないか調べていました。もちろん靴も脱がされましたし、その中を調べ漏らすこともありませんでした。
携帯品も、隅から隅まで金属探知機を当てていました。荷物を預けると空港を出るのが少し遅れるので機内持ち込みすることがありますが、手荷物にせず預けておいてよかったです。
いわゆる出国審査では、特に質問もなくパスポートとチケットを確認しただけで、レッドチケットを受け取って終わりです。
列に並んでここまでかかった時間は1時間20分でした。
預け荷物の列に並んでいる段階から、パスポートの顔チェックが行われました。
似ていないのか、他のIDカードを持っていないか尋ねられました。日焼けしたせいでしょうか。別の人が確認にやってきてパスし、別室行きは免れました。
次は、預け荷物についての質問です。尖ったものはないかとか、他の人から預かったものは入っていないかとか、荷物から離れたりしなかったかとか等尋ねられました。
「ゆっくり話して」と言ったら英語が得意でないことがバレたようで、モニタに日本語の質問文と答えの選択肢を表示してくれました。
その後、これまでに経験したことがないほど厳密な携帯品検査と身体検査が行われました。
身体検査は非常に厳格で、手袋をはめた手で体中を触り、異物がないか調べていました。もちろん靴も脱がされましたし、その中を調べ漏らすこともありませんでした。
携帯品も、隅から隅まで金属探知機を当てていました。荷物を預けると空港を出るのが少し遅れるので機内持ち込みすることがありますが、手荷物にせず預けておいてよかったです。
いわゆる出国審査では、特に質問もなくパスポートとチケットを確認しただけで、レッドチケットを受け取って終わりです。
列に並んでここまでかかった時間は1時間20分でした。
2017年6月8日木曜日
エレツ・イスラエル博物館/Eretz Israel Museum
エレツ・イスラエル博物館/Eretz Israel Museum
無休、52シェケル
このエレツ・イスラエル博物館は、テル・アビブ大学の付属施設です。
見どころがないわけではありませんが、あまり広くなく展示物に一貫性がなく、人によっては面白くないところかも知れません。
そこで、この項で紹介するのは特にわたしが関心を持ったものに限定することにします。
水やワインを入れて運ぶ革袋です。
このような具合で使われたようです。
新しいぶどう酒を入れたら破けてしまうのかも知れません。
農業用具は合理的なものですから、宗教文化の影響は薄くどこも似たようなものです。
石投げ器です。
投網です。
さて、この円筒形のものは一体何でしょうか。
壁に囲まれた屋外に展示されており、近づくことはできません。

これは古代中東の養蜂箱です。テル・レホブから発掘されたもののレプリカです。
レプリカですが、実際に蜂を飼ってみて実演してみせているわけです。
古代イスラエルの養蜂を再現し展示している博物館は世界でもここだけです。

ワラと粘土で作られていますが、焼かれていません。日干しレンガに近い製法のようです。
3000年ほど前に、図のような具合で養蜂が営まれていたようです。
養蜂箱が発掘されたテル・レホブは、アイノンの北7kmのところにあります。バプテストのヨハネはイナゴ(マメ)とハチミツを主食にしていましたが、ここのハチミツを食べたのかも知れません。
無休、52シェケル
このエレツ・イスラエル博物館は、テル・アビブ大学の付属施設です。
見どころがないわけではありませんが、あまり広くなく展示物に一貫性がなく、人によっては面白くないところかも知れません。
そこで、この項で紹介するのは特にわたしが関心を持ったものに限定することにします。
水やワインを入れて運ぶ革袋です。
このような具合で使われたようです。
新しいぶどう酒を入れたら破けてしまうのかも知れません。
農業用具は合理的なものですから、宗教文化の影響は薄くどこも似たようなものです。
石投げ器です。
投網です。
さて、この円筒形のものは一体何でしょうか。
壁に囲まれた屋外に展示されており、近づくことはできません。

これは古代中東の養蜂箱です。テル・レホブから発掘されたもののレプリカです。
レプリカですが、実際に蜂を飼ってみて実演してみせているわけです。
古代イスラエルの養蜂を再現し展示している博物館は世界でもここだけです。

ワラと粘土で作られていますが、焼かれていません。日干しレンガに近い製法のようです。
3000年ほど前に、図のような具合で養蜂が営まれていたようです。
養蜂箱が発掘されたテル・レホブは、アイノンの北7kmのところにあります。バプテストのヨハネはイナゴ(マメ)とハチミツを主食にしていましたが、ここのハチミツを食べたのかも知れません。
2017年6月7日水曜日
アブラハムの井戸国際ビジターセンター/Abraham's Well International Visitor Center
アブラハムの井戸国際ビジターセンター/Abraham's Well International Visitor Center
34シェケル
ベエル・シェバと言えばアブラハムの井戸です。
それがこの建物の中にあるというのですが、
アブラハムの井戸国際ジビターセンターは、交差点の角にあります。
この裏に入り口があります。
入り口は建物右下のドアです。
アブラハムの井戸国際ビジターセンターでは、さきにアブラハムのエピソードを題材にした3Dの映画を鑑賞させられ、その次に、井戸のある構内の中庭に誘導されます。
小学生の遠足でしょうか。
ここはそういうところのようです。
井戸はあるにはあるのですが、たくさんあるうちの一つです。誰が掘ったのか分からないし、井戸の構造から年代を特定することもできないそうです。
それはそれで仕方のないことですが、「アブラハム」冠するのは名に偽りありと言えるかも知れません。
もちろん、作り直されています。このような井戸が発掘されたわけではありません。
昔の人の衣装をまとったガイドが発掘の状況を解説してくれました。
34シェケル
ベエル・シェバと言えばアブラハムの井戸です。
それがこの建物の中にあるというのですが、
アブラハムの井戸国際ジビターセンターは、交差点の角にあります。
この裏に入り口があります。
入り口は建物右下のドアです。
アブラハムの井戸国際ビジターセンターでは、さきにアブラハムのエピソードを題材にした3Dの映画を鑑賞させられ、その次に、井戸のある構内の中庭に誘導されます。
小学生の遠足でしょうか。
ここはそういうところのようです。
井戸はあるにはあるのですが、たくさんあるうちの一つです。誰が掘ったのか分からないし、井戸の構造から年代を特定することもできないそうです。
それはそれで仕方のないことですが、「アブラハム」冠するのは名に偽りありと言えるかも知れません。
しかし逆に、「アブラハムが掘った」と適当なことを言われるよりはマシかもしれません。
深さは30mほどです(13mの聞き間違いかも知れません)。もちろん、作り直されています。このような井戸が発掘されたわけではありません。
昔の人の衣装をまとったガイドが発掘の状況を解説してくれました。
ベエル・シェバ/Be'er Sheva
ベエル・シェバへは、エルサレム・セントラル・バス・ステーションから470番のBe'er Sheva-Centeral Bus Station行きに乗り行くことができます。乗車賃は27シェケル、乗車時間は約1時間40分です。
ベエル・シェバは、創世記に出てくる地名です。「べエル」は「井戸」という意味です。アブラハムが掘った井戸もあります。イスラエルの領土の範囲を表すのにしばしば「ダンからベエル・シェバまで」と言い習わされてきたことからも分かるように、ベエル・シェバは古代のイスラエルの南端に位置していました。なお現在のイスラエルの南端は、エジプトとヨルダンの国境が近いエイラットです。
Be'er Sheva-Centeral Bus Station
ベエル・シェバ・セントラル・バス・ステーション周辺です。
鉄道駅もこのすぐそばにあります。
「ベエル・シェバには誰も来やしない!」と、ベエル・シェバから来たイスラエル人が言っていました。アブラハムの井戸と、国立公園くらいしかめぼしいところがありませんから、観光客がなかなか集まらないのも仕方ありません。
しかし、そのおかげか、良いところもあります。街が綺麗で臭くないところです。ナザレもエルサレムもしばしばゴミが散らかっていたり、悪臭漂うところがあり辟易しましたが、ベエル・シェバではそういう不快な思いはしませんでした。
観光客が少なく、その結果道路を塞ぐタクシーもなくその騒音もなく、街全体がゴミゴミしておらず、スッキリしているのがベエル・シェバのよいところです。
こうした風景だけではイスラエルだとは分からないかもしれません。
アブラハムの井戸国際ビジターセンター/Abraham's Well International Visitor Centerから撮影しました。
こういう風景は日本にもあったように思います。
左の建物がRailway Towerです。右に列車が停まっているのが分かると思います。
明日空港入りする予定なので、これに乗ってテル・アビブまで移動します。100分ほどで着きます。
http://www1.rail.co.il/EN/Pages/Homepage.aspx
ベエル・シェバは、創世記に出てくる地名です。「べエル」は「井戸」という意味です。アブラハムが掘った井戸もあります。イスラエルの領土の範囲を表すのにしばしば「ダンからベエル・シェバまで」と言い習わされてきたことからも分かるように、ベエル・シェバは古代のイスラエルの南端に位置していました。なお現在のイスラエルの南端は、エジプトとヨルダンの国境が近いエイラットです。
Be'er Sheva-Centeral Bus Station
ベエル・シェバ・セントラル・バス・ステーション周辺です。
鉄道駅もこのすぐそばにあります。
「ベエル・シェバには誰も来やしない!」と、ベエル・シェバから来たイスラエル人が言っていました。アブラハムの井戸と、国立公園くらいしかめぼしいところがありませんから、観光客がなかなか集まらないのも仕方ありません。
しかし、そのおかげか、良いところもあります。街が綺麗で臭くないところです。ナザレもエルサレムもしばしばゴミが散らかっていたり、悪臭漂うところがあり辟易しましたが、ベエル・シェバではそういう不快な思いはしませんでした。
観光客が少なく、その結果道路を塞ぐタクシーもなくその騒音もなく、街全体がゴミゴミしておらず、スッキリしているのがベエル・シェバのよいところです。
アブラハムの井戸国際ビジターセンター/Abraham's Well International Visitor Centerから撮影しました。
ベエル・シェバ川です。
ワジなので乾季の今は水がありません。橋の下の影には牛がいました。
マーケットです。こういう風景は日本にもあったように思います。
左の建物がRailway Towerです。右に列車が停まっているのが分かると思います。
明日空港入りする予定なので、これに乗ってテル・アビブまで移動します。100分ほどで着きます。
http://www1.rail.co.il/EN/Pages/Homepage.aspx
2017年6月1日木曜日
クムラン国立公園/Qumran national park
クムラン国立公園/Qumran national park
無休、29シェケル
http://www.parks.org.il/sites/English/ParksAndReserves/qumran/Pages/default.aspx
マサダからクムランへは、降りたバス停で、444番のエルサレム・セントラル・バス・ステーション行きに乗り、Kibbutz Kalya Junction/Qumranで下車します。1時間ほどで着きます。
このバス停から西の方(山の方)に少し歩くとクムラン国立公園があります。
クムランはパレスチナ自治区にあるのですが、そこにイスラエルの国立公園があるのが不思議です。ヘブロンのように多くのイスラエル兵が配置されているわけでもありません。エルサレムからエイラット行きのバスも(その逆も)運転手の交代はなかったように記憶しています。不思議なところです。
クムラン国立公園では、受付を済ますと5分ほどのビデオを見せられ、その後に、死海文書の発見の様子やクムラン宗団の生活様式(風呂によく入ることと、写本をしていたこと)が簡単に分かる展示へ誘導されます。なお、写本等はここでは見られません。あるのはレプリカです。死海文書はエルサレムのイスラエル博物館の死海文書館で少しだけ見ることができます。
これはベドウィンが巻物を発見した時のイメージです。巻物が入っていた壺はだいたいこのような形状だったようです。
沐浴のための風呂です。クムラン宗団は1日に少なくとも2度は入ったそうです。
彼らは霊的にも衛生的にも清さを保つことを重んじていたのです。
正午になると仕事を止め、沐浴した後に共同で食事を摂ったそうです。
クムランで各人に割り当てられる仕事はそれぞれですが、写本を増やす仕事をしていた人もおり、そのための部屋もありました。
写本のレプリカです。
クムランの写真と言えばこれが定番です。本も、ブログも、ほとんどがこの角度で、この洞窟を写しています。
ジェームス・C. ヴァンダーカム著、秦剛平訳『死海文書のすべて』(青土社、2005年、p.10)
写本等が見つかったのはこの洞窟だけではないのに、なぜこの写真ばかりなのでしょうか。
答えは簡単で、撮影スポットがあるからです。
人々が集まっているところがその撮影スポットです。
少し南に歩けばこのように少し違ったクムランの洞窟の風景を写すことができます。
よく見ると人がいます。
クライミング中なのでしょうか。子供がいるので何かの作業をしているわけではなさそうです。
西側の山です。
イエスが40日間断食しその後悪魔の誘惑を受けたのは、ユダの荒野です。
エリコがその舞台だと考える向きもありますが、特にその証拠はありません。イエスの修行場所を特定しようとする動きがあった時には、クムランは知られておらず、その一方で、エリコはあまりに有名だったので、エリコがその場だったとされたに過ぎません。
誘惑の山/Mount of Temptation
直接的な証拠がないのはクムランも同じですが、わたしはクムランがその場だったのではないかと思っています。
遺跡の全容はこのような具合です。
規模の点ではマサダとは比べ物になりませんが、比べる対象がよくありません。
以下、個々の施設についてです。
儀式用の風呂です。
クムランと言えば、普通なら「死海文書」ですが、発掘された遺跡を見る限り「風呂」です。
クムランの人々は風呂好きだった、というよりは儀式的に清くありたかったわけです。
ユダヤ教は清めの儀式が定められていて、どの宗教よりも衛生的ですが、クムラン宗団はその中でも飛び抜けて清潔です。
これは貯水槽です。風呂と同様にたくさんありました。
クムランの遺跡はマサダ要塞ほど高いところにはありませんが、そもそも雨がほとんど降らないところなので、水を確保しておくことは非常に重要なことでした。
カマドです。自分たちが使う陶器は自分たちで焼いていました。
ただでさえ熱いところですから、この仕事を割り当てられた人は汗だくになっていたことと思います。
器はここで保管されていたようです。
作業場です。
写本室です。
クムランの人々は棕櫚(シュロ)が伴侶でした。
無休、29シェケル
http://www.parks.org.il/sites/English/ParksAndReserves/qumran/Pages/default.aspx
マサダからクムランへは、降りたバス停で、444番のエルサレム・セントラル・バス・ステーション行きに乗り、Kibbutz Kalya Junction/Qumranで下車します。1時間ほどで着きます。
このバス停から西の方(山の方)に少し歩くとクムラン国立公園があります。
クムランはパレスチナ自治区にあるのですが、そこにイスラエルの国立公園があるのが不思議です。ヘブロンのように多くのイスラエル兵が配置されているわけでもありません。エルサレムからエイラット行きのバスも(その逆も)運転手の交代はなかったように記憶しています。不思議なところです。
クムラン国立公園では、受付を済ますと5分ほどのビデオを見せられ、その後に、死海文書の発見の様子やクムラン宗団の生活様式(風呂によく入ることと、写本をしていたこと)が簡単に分かる展示へ誘導されます。なお、写本等はここでは見られません。あるのはレプリカです。死海文書はエルサレムのイスラエル博物館の死海文書館で少しだけ見ることができます。
これはベドウィンが巻物を発見した時のイメージです。巻物が入っていた壺はだいたいこのような形状だったようです。
彼らは霊的にも衛生的にも清さを保つことを重んじていたのです。
正午になると仕事を止め、沐浴した後に共同で食事を摂ったそうです。
クムランで各人に割り当てられる仕事はそれぞれですが、写本を増やす仕事をしていた人もおり、そのための部屋もありました。
写本のレプリカです。
クムランの写真と言えばこれが定番です。本も、ブログも、ほとんどがこの角度で、この洞窟を写しています。
ジェームス・C. ヴァンダーカム著、秦剛平訳『死海文書のすべて』(青土社、2005年、p.10)
写本等が見つかったのはこの洞窟だけではないのに、なぜこの写真ばかりなのでしょうか。
答えは簡単で、撮影スポットがあるからです。
人々が集まっているところがその撮影スポットです。
少し南に歩けばこのように少し違ったクムランの洞窟の風景を写すことができます。
よく見ると人がいます。
西側の山です。
イエスが40日間断食しその後悪魔の誘惑を受けたのは、ユダの荒野です。
エリコがその舞台だと考える向きもありますが、特にその証拠はありません。イエスの修行場所を特定しようとする動きがあった時には、クムランは知られておらず、その一方で、エリコはあまりに有名だったので、エリコがその場だったとされたに過ぎません。
誘惑の山/Mount of Temptation
遺跡の全容はこのような具合です。
規模の点ではマサダとは比べ物になりませんが、比べる対象がよくありません。
儀式用の風呂です。
クムランと言えば、普通なら「死海文書」ですが、発掘された遺跡を見る限り「風呂」です。
クムランの人々は風呂好きだった、というよりは儀式的に清くありたかったわけです。
ユダヤ教は清めの儀式が定められていて、どの宗教よりも衛生的ですが、クムラン宗団はその中でも飛び抜けて清潔です。
これは貯水槽です。風呂と同様にたくさんありました。
クムランの遺跡はマサダ要塞ほど高いところにはありませんが、そもそも雨がほとんど降らないところなので、水を確保しておくことは非常に重要なことでした。
カマドです。自分たちが使う陶器は自分たちで焼いていました。
ただでさえ熱いところですから、この仕事を割り当てられた人は汗だくになっていたことと思います。
器はここで保管されていたようです。
作業場です。
写本室です。
クムランの人々は棕櫚(シュロ)が伴侶でした。
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