2017年6月1日木曜日

クムラン国立公園/Qumran national park

クムラン国立公園/Qumran national park
無休、29シェケル
http://www.parks.org.il/sites/English/ParksAndReserves/qumran/Pages/default.aspx

マサダからクムランへは、降りたバス停で、444番のエルサレム・セントラル・バス・ステーション行きに乗り、Kibbutz Kalya Junction/Qumranで下車します。1時間ほどで着きます。
このバス停から西の方(山の方)に少し歩くとクムラン国立公園があります。
クムランはパレスチナ自治区にあるのですが、そこにイスラエルの国立公園があるのが不思議です。ヘブロンのように多くのイスラエル兵が配置されているわけでもありません。エルサレムからエイラット行きのバスも(その逆も)運転手の交代はなかったように記憶しています。不思議なところです。

クムラン国立公園では、受付を済ますと5分ほどのビデオを見せられ、その後に、死海文書の発見の様子やクムラン宗団の生活様式(風呂によく入ることと、写本をしていたこと)が簡単に分かる展示へ誘導されます。なお、写本等はここでは見られません。あるのはレプリカです。死海文書はエルサレムのイスラエル博物館の死海文書館で少しだけ見ることができます。
これはベドウィンが巻物を発見した時のイメージです。巻物が入っていた壺はだいたいこのような形状だったようです。

沐浴のための風呂です。クムラン宗団は1日に少なくとも2度は入ったそうです。
彼らは霊的にも衛生的にも清さを保つことを重んじていたのです。
正午になると仕事を止め、沐浴した後に共同で食事を摂ったそうです。
クムランで各人に割り当てられる仕事はそれぞれですが、写本を増やす仕事をしていた人もおり、そのための部屋もありました。
写本のレプリカです。
クムランの写真と言えばこれが定番です。本も、ブログも、ほとんどがこの角度で、この洞窟を写しています。

ジェームス・C. ヴァンダーカム著、秦剛平訳『死海文書のすべて』(青土社、2005年、p.10)

写本等が見つかったのはこの洞窟だけではないのに、なぜこの写真ばかりなのでしょうか。
答えは簡単で、撮影スポットがあるからです。
人々が集まっているところがその撮影スポットです。
少し南に歩けばこのように少し違ったクムランの洞窟の風景を写すことができます。
よく見ると人がいます。
クライミング中なのでしょうか。子供がいるので何かの作業をしているわけではなさそうです。
 西側の山です。
イエスが40日間断食しその後悪魔の誘惑を受けたのは、ユダの荒野です。

エリコがその舞台だと考える向きもありますが、特にその証拠はありません。イエスの修行場所を特定しようとする動きがあった時には、クムランは知られておらず、その一方で、エリコはあまりに有名だったので、エリコがその場だったとされたに過ぎません。

誘惑の山/Mount of Temptation

直接的な証拠がないのはクムランも同じですが、わたしはクムランがその場だったのではないかと思っています。
遺跡の全容はこのような具合です。
規模の点ではマサダとは比べ物になりませんが、比べる対象がよくありません。


以下、個々の施設についてです。
 儀式用の風呂です。
クムランと言えば、普通なら「死海文書」ですが、発掘された遺跡を見る限り「風呂」です。
クムランの人々は風呂好きだった、というよりは儀式的に清くありたかったわけです。
ユダヤ教は清めの儀式が定められていて、どの宗教よりも衛生的ですが、クムラン宗団はその中でも飛び抜けて清潔です。
これは貯水槽です。風呂と同様にたくさんありました。
クムランの遺跡はマサダ要塞ほど高いところにはありませんが、そもそも雨がほとんど降らないところなので、水を確保しておくことは非常に重要なことでした。
カマドです。自分たちが使う陶器は自分たちで焼いていました。
ただでさえ熱いところですから、この仕事を割り当てられた人は汗だくになっていたことと思います。
器はここで保管されていたようです。
作業場です。
写本室です。
クムランの人々は棕櫚(シュロ)が伴侶でした。