2017年6月4日日曜日

マクペラの洞窟/Cave of the Patriarchs

マクペラの洞窟/Cave of the Patriarchs

これがマクペラの洞窟と呼ばれているところです。建物の中にアブラハム一家の埋葬されていた洞窟と、墓標があります。
無論ここは、ユダヤ教にとってはエルサレムに次ぐ聖地ですし、イスラム教にとっても重要な聖地です。アラブ人は自分たちのことをイシュマエルの子孫と考えているからです。
宗教対立による重大な事件が発生したため/発生するため、ユダヤ教徒用とイスラム教徒用の入り口がそれぞれ設けられています。上のゲートはイスラエル側の手荷物検査のゲートです。
こちらは、パレスチナ側の手荷物検査のゲートです。わたしは見た目アジア人旅行者ですから、いずれにも入ることができました。
イスラエル側、ユダヤ教側の中庭です。この両サイドにそれぞれアブラハムとサラの墓標の部屋、ヤコブとレアの部屋があります。

額に聖句入れを付けて祈っている人を初めて見ました。今のユダヤ教はパリサイ派の系統にあります。ユダヤの反乱で神殿が破壊され、サドカイ派は消滅し、熱心党もエッセネ派も反乱に参加したため滅びました。その結果ユダヤ教で残ったのはパリサイ派でした。

これはアブラハムの墓標です。
この大きな構造物の中身はカラです。記念碑的に置いているに過ぎません。他の墓標もすべてカラのはずです。
サラの墓標です。
これはヤコブの墓標です。
プレートが掛けられているので識別可能です。
こちらはレアの墓標です。
この閉ざされた戸の先にイスラムエリアの「イサクの間」があります。イサクとリベカの墓標はイスラム側にあるのです。
特別な日にのみ開放され、ユダヤ教徒はこちらから行くことができます(ユダヤ教徒以外はイスラムの方に行けば入ることができます)。

警備しているイスラエル兵が「ここにはアダムとエバの墓もあります」と言うの聞いて、驚かされました。厳かな気分も吹き飛ぶというものです。

しかし、そのように言うのも彼ら/彼女らなりに理由があり、ユダヤ教の「ゾーハルの書」と呼ばれるトーラー注解書に、「アダムは、エデンの園の香りがするマクペラに来てエバを埋葬(するためにマクペラに洞窟を掘り、アダム自身もそこに埋葬された)」と書かれているからです。

ユダヤ教でしか使われていない経典を持ち出されても反応のしようがありません。ここはやはり共通のヘブライ語聖書に基づいてくれないと。しかしそれよりも問題なのが、ヤコブの墓問題です。

創世記だけを読んでいるなら、「アブラハム、サラ、イサク、リベカ、ヤコブ、レアはマクペラに葬られている」で終わるのですが、厄介なことに、使徒6章から7章に書かれているステファノの弁明では、ヤコブはシェケム(ヤコブの井戸があるところ。現在のナブラス)に葬られたとあります。
ヤコブはエジプトに下り、そこで彼も私たちの先祖たちも死にました。 そしてシケムに運ばれ、かねてアブラハムがいくらかの金でシケムのハモルの子から買っておいた墓に葬られました。
これは、ステファノが勘違いしていたということで済ますこともできそうですが、ステファノは聖霊に満たされて語っていたので厄介です。聖書に矛盾があってはならない宗派の人にとってヤコブの墓問題は、難しい問題でしょう。翻ってユダヤ教は、ギリシャ語聖書は無視しているので、ヤコブの墓はシェケムにあるのではないかという問題は生じません。
イスラム教のスペースへは、下足を脱いで上がります。

中の様子はこのような具合です。
手前に見えている左側の小屋にイサクの墓標があります。奥(右側)の小屋はリベカのものです。
イスラムエリア最大のウリである、マクペラの洞窟の入り口です。
花状の大理石で封印されています。もちろん入れません。
ここが創世記に書かれているマクペラの洞窟である可能性は高いです。埋葬されている人がアブラハムらかどうかは不明ですが、土器以外にも砕けた人骨もでてきましたし、洞窟の構造も、マクペラという言葉の意味と同じく二重でしたから、他所に重大な発見でもないかぎり、ここがそうだと考えて問題ないと思います。

ここにアブラハムらが埋葬されたのが確かだとしても、埋葬は4000年近くも前のことですから、それらの骨が期待されたものかどうかは分かりません。二重の洞窟もほかにもあるかも知れません。しかし、今から地下の発掘調査を行うのは難しいでしょう。
イスラム側から見たアブラハムの墓標です。
イスラム側から見たサラの墓標です。
この見慣れない構造物は、イスラム教の説教壇です。「ミンバル」と呼ばれています。特殊マクペラ的なものではありません。

イサクとリベカの墓標です。

イスラムエリアで見かけた少年は、観光地に来ているかのようにスマホで写真を撮っていました。また、洞窟の入口の前で記念撮影している家族も見かけました。それらを見てわたしはホッとしました。イスラム教の聖地も若い世代ではより相対化されているのを垣間見ることができたからです。今世紀に解決するとは思いませんが、今後もずっと宗教的対立が続いていて良い訳ありません。