2017年6月3日土曜日

聖誕教会/Church of Nativity

聖誕教会/Church of Nativity
無休、無料

ベツレヘムの聖誕教会へは、まずダマスカス門のアラブバスステーションから、Bab El-Zakak/Beit Jala Roadバス停へ行きます。そして、Bab El-Zakak/Beit Jala Roadバス停からは南東に一本道です。Google mapsでは、道が途切れているので正しいルートは示されませんが、人の流れについていけば迷うことはないと思います。
わたしにとって、ヴィア・ドロローサ/Via Dolorosaにならんで優先順位が低かったのがベツレヘムの聖誕教会です。四福音書はどれもイエスの死について記述していますが、イエスの誕生については、マタイとルカが記述しているものの、マルコとヨハネは沈黙しています。イエスの誕生譚が重要であるなら書き漏らされることはなかったでしょう。
(東に併設されているカトリックの聖カテリナ教会/聖カタリナ教会)

論理としては生は死に先立つので、まったく重要でないことはないと思いますが、誕生の時点でイエスが何者になるのかは不明だったわけです。イエスの死後マリアから聞いて場所を調べておいたのでしょうか。その可能性はゼロではありませんが、イエスの死んだ場所が忘れられていながら、生まれたところは覚えられていたなぞと都合の良いことがあるのでしょうか。
(カトリックの聖カテリナ教会の中庭)

上の人形は、聖誕教会のカトリックの方の入り口に展示されているものです。登場人物が一堂に会していますが、細かいことは気にしません。東方のマギはマタイ、羊飼いはルカの記述によります。

さて、世間一般では、イエスは馬小屋で生まれたと思われていますが、マタイはもとより、ルカも、よく読んでみると、「馬小屋で生まれた」とは書かれていません。み使いに誘導されてやって来た羊飼いらは、飼葉おけに寝かせられた赤子イエスを見つけたわけですが、そこが普通なら人は泊まらないような変なところだったのは確かです。ルカがわざわざ「宿屋には彼らのいる場所がなかったから」と説明を付け加えたくらいですから。そこは馬小屋だったのかもしれませんが、そうでなかったのかもしれません。飼葉おけはあったわけですが、ゆりかご代わりに近くの馬小屋から持ってきたものかもしれません。
なぜこのような細を穿つような細かなことをいちいち書いているのかというと、なんとこの聖誕教会は、イエスが生まれた(とされている)「洞窟」の上に建てられているからです。ここに来るまで、イエスが洞窟で生まれたなんてことは思いつきもしませんでした。住民登録でベツレヘムに人がたくさん来ていた、というよりはそもそも寒村のベツレヘムに宿屋はほとんどなかったから、雨風をしのげるどこかに泊まったということなのでしょう。わたしも(宿がなければ)馬小屋よりも洞窟に泊まりたいですから、洞窟で生まれたというのは馬小屋で生まれたというのよりも筋は良いと思います。また、「俗説」に抗っているところはなお良いです。

この聖誕教会は、聖墳墓教会のように、ギリシャ正教会、アルメニア正教会、カトリックの合同運営なので、彼らの公式では、イエスは洞窟で生まれたということになっているのだと思います。わたしはどこでもいいです。ナザレで生まれていても構いません。ちなみに、ここも聖墳墓教会と同じように、かつてはギリシャ神話の神(美と欲望の神アドニス)の崇拝場所でした。
この聖誕教会の本体はギリシャ正教会の教会で、その奥にはイエスが生まれた(とされている)ところが祀られています。これはその入り口です。中に入ると、星状の銀のプレートがあるそうです。わたしは入りませんでしたので、中の様子を写した写真はありません。
イエスが生まれたとされるところの上にある祭壇です。
パレスチナ人用の「謙遜の戸」という入り口です。身をかがめないと入れないので、そのような嫌味な名がつけられています。教会は茶室なのでしょうか。他人に謙遜を強要して恥ずかしくないのでしょうか。謙遜とはその人の内面からにじみ出るものであって、人からそうであるよう要求される類のものではありません。