ベツレヘムへは、旧市街にあるダマスカス門のすぐ北のアラブバスで行きますが、注意が必要です。ラケルの墓/Rachel's Tombと聖誕教会/Church of Nativityには同時に行くことはできません。分離壁があるためです。
ベツレヘムは、パレスチナ自治区の実効支配地ですが、分離壁が建てられていて、そのすぐ北側/西側にラケルの墓が、南側には聖誕教会等があります。ユダヤ人は、ラケルの墓には用があるので、そこに強引に線を引いた格好になっています(ユダヤ人は、イエスの生誕地に用はないようです。ユダヤ人にとってイエスは「偽預言者」ですから、当たり前といえば当たり前です)。
高橋和夫著『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』(幻冬舎、2010年)からの引用
そのため、エルサレムからラケルの墓に行くには、バスでHaNevi'im Terminal, JerusalemからRachel's Tomb行きに乗ることになります。そこから聖誕教会へ直接行くことはできないので、一旦エルサレムに戻り、そこから再び231番のアラブバスからBab El-Zakak/Beit Jala Roadまでのバスに乗り、聖誕教会へ行くことになります(タクシーを使えなくもありませんが、あまりお勧めしません)。
わたしは上のような事情を知らずに、231番のBab El-Zakak/Beit Jala Road行きのバスに乗って行ったのでラケルの墓には行けませんでした。
ダマスカス門付近です。
少し見えにくいですが、奥に複数のバスが停まっているのがアラブバスのバスステーションです。
231番のバスです。これでBab El-Zakak/Beit Jala Roadまで行きます。運賃は、6.8シェケル、乗車時間は25分程度です。
Bab El-Zakak/Beit Jala Road
Bab El-Zakakに着きました。出迎えてくれたのはタクシーの客引きです。非常にしつこいです。不快な思いをすることになるので無視するのがベストですが、わたしは人がいいので、どこへ行くのかの問いに答えてしまい、さらにしつこくまとわりつかれました。やめておけばいいのに、いくらかかるのか訊いたりもしたので、かなりしつこくされました。
当初は、ラケルの墓に行くつもりだったので、バス停から北東にまっすぐ進みました。
しかし、上に書いてあるとおり、そこにあったのは分離壁でした。
ベツレヘムでは分離壁にイデオロギッシュな落書きをするのが伝統です。
上の落書きはバンクシーの有名な絵です。ラケルの墓には行けませんでしたが、分離壁の落書きが見れたのでよしとしましょう。
この項では何度も「ラケルの墓」と書いていますが、ベニヤミンを産んで亡くなったラケルはベツレヘムで埋葬されたため、ヘブロンのアブラハム一家の墓には葬られていません。
このエピソードは、非常にリアリティがあることのように思えたので、関心があったのです。
「ベツレヘム」という地名は世界中の人が知っています。おそらくは「ナザレ」よりもずっと有名なはずです。
しかし、そのベツレヘムがどこにあるのかというと、分からないか、イスラエルにあると思っているのではないかと思います。ベツレヘムはイスラエル国内の「パレスチナ『自治区』」にあります。
わたしのパレスチナに対する漠然としたイメージは、イスラエルに痛めつけられて疲弊したところというものなのですが、まったくそんな感じはしません。
世界からの観光客で潤っているベツレヘムは特別なのでしょうか。
聖書を読んでいると、ヘブライ人はフィリスティア(パレスチナ)人/ペリシテ人と敵対していて、サムソンやダビデ等、フィリスティア人をやっつける話が多いですが、今パレスチナに住んでいるのは、海の民のフィリスティア人ではなく、アラブ人のパレスチナ人(パレスチナ国民)です。
一方で、そのパレスチナ人と敵対しているユダヤ人(イスラエル国民)も、ユダヤ戦争後世界に離散し混血が進んでいるので、生粋のユダヤ人(?)ではありません。人種としてのユダヤ人は存在しません。
ですから、両者の対立や因縁を聖書から説明しようとしても無意味です。
居住エリアです。エルサレムやナザレの旧市街を思わせる街並みです。
清潔でしたし、石畳も凸凹しておらず、メンテナンスは行き届いています。
ベツレヘムの良いところは、武装したイスラエル兵がうろちょろしていないところです。
また、テロの心配もないところです。
バス停付近です。
パレスチナの銀行です。
クルマを見ても建物を見ても、困窮しているようには見えません。ここの生活水準よりも低い水準で生活している日本人は少なくないでしょう。
世界中からやってくる観光客向けのホテルです。
パレスチナは、イスラエルにとっては不要のイエス「誕生の地」を押し付けられてラッキーでした。
ベツレヘムには、その他以下のようなキリスト教徒向けのスポットはありますが、わたしにはバカバカしく感じられるので行きませんでした。
ミルクグロット教会/Milk Grotto Church
ヨセフの家/The House of St. Joseph
羊飼いの野教会/Shepherd's Field Church
少し見えにくいですが、奥に複数のバスが停まっているのがアラブバスのバスステーションです。
231番のバスです。これでBab El-Zakak/Beit Jala Roadまで行きます。運賃は、6.8シェケル、乗車時間は25分程度です。
Bab El-Zakak/Beit Jala Road
Bab El-Zakakに着きました。出迎えてくれたのはタクシーの客引きです。非常にしつこいです。不快な思いをすることになるので無視するのがベストですが、わたしは人がいいので、どこへ行くのかの問いに答えてしまい、さらにしつこくまとわりつかれました。やめておけばいいのに、いくらかかるのか訊いたりもしたので、かなりしつこくされました。
当初は、ラケルの墓に行くつもりだったので、バス停から北東にまっすぐ進みました。
しかし、上に書いてあるとおり、そこにあったのは分離壁でした。
ベツレヘムでは分離壁にイデオロギッシュな落書きをするのが伝統です。
上の落書きはバンクシーの有名な絵です。ラケルの墓には行けませんでしたが、分離壁の落書きが見れたのでよしとしましょう。
この項では何度も「ラケルの墓」と書いていますが、ベニヤミンを産んで亡くなったラケルはベツレヘムで埋葬されたため、ヘブロンのアブラハム一家の墓には葬られていません。
このエピソードは、非常にリアリティがあることのように思えたので、関心があったのです。
「ベツレヘム」という地名は世界中の人が知っています。おそらくは「ナザレ」よりもずっと有名なはずです。
しかし、そのベツレヘムがどこにあるのかというと、分からないか、イスラエルにあると思っているのではないかと思います。ベツレヘムはイスラエル国内の「パレスチナ『自治区』」にあります。
わたしのパレスチナに対する漠然としたイメージは、イスラエルに痛めつけられて疲弊したところというものなのですが、まったくそんな感じはしません。
世界からの観光客で潤っているベツレヘムは特別なのでしょうか。
聖書を読んでいると、ヘブライ人はフィリスティア(パレスチナ)人/ペリシテ人と敵対していて、サムソンやダビデ等、フィリスティア人をやっつける話が多いですが、今パレスチナに住んでいるのは、海の民のフィリスティア人ではなく、アラブ人のパレスチナ人(パレスチナ国民)です。
一方で、そのパレスチナ人と敵対しているユダヤ人(イスラエル国民)も、ユダヤ戦争後世界に離散し混血が進んでいるので、生粋のユダヤ人(?)ではありません。人種としてのユダヤ人は存在しません。
ですから、両者の対立や因縁を聖書から説明しようとしても無意味です。
居住エリアです。エルサレムやナザレの旧市街を思わせる街並みです。
清潔でしたし、石畳も凸凹しておらず、メンテナンスは行き届いています。
ベツレヘムの良いところは、武装したイスラエル兵がうろちょろしていないところです。
また、テロの心配もないところです。
以下は、聖誕教会/Church of Nativityからバス停までの一本道です。
バス停付近です。
パレスチナの銀行です。
クルマを見ても建物を見ても、困窮しているようには見えません。ここの生活水準よりも低い水準で生活している日本人は少なくないでしょう。
世界中からやってくる観光客向けのホテルです。
パレスチナは、イスラエルにとっては不要のイエス「誕生の地」を押し付けられてラッキーでした。
ベツレヘムには、その他以下のようなキリスト教徒向けのスポットはありますが、わたしにはバカバカしく感じられるので行きませんでした。
ミルクグロット教会/Milk Grotto Church
ヨセフの家/The House of St. Joseph
羊飼いの野教会/Shepherd's Field Church