それもそのはず、遠野市人口は3万人にも満たないのです。
駅周辺はよく整備されていますが、駅以外は田畑と道路ばかりです。
遠野物語の舞台は市街ではなく、遠野市のあちこちです。
その代わり、市街にはホテル、市立博物館、「とおの物語の館」、「遠野城下町資料館」があります。
博物館はすばらしく教育的なもので遠野を理解することができるものでしたが、「とおの物語の館」は遠野物語とは関係がなくただの民話を扱った半端な施設でした。誰がどういう目的で作ったのかは、想像に易いところです。
それら以外にも、柳田國男が泊まった宿も移築して展示されていました。
確かに、遠野が日本中で知られるようになったのは他でもない、柳田國男のおかげです。
しかし、柳田國男の「遠野物語」の内容は、地元の佐々木喜善が聞き取って収集したものです。もちろん佐々木喜善の「遠野物語」では埋もれていたことでしょうし、柳田國男は日本における民俗学、あるいはアナール派的社会学の祖なので、柳田國男を語らないわけには行きません。
柳田國男の故郷は兵庫の中央部の田舎で、そこではまったく忘れ去られた存在です。
ならば、遠野で神のように扱われるのもありかも知れません。
柳田國男は遠野に生活の本拠をおいたことはなく、ごく短い期間、現地調査を行っただけです。
ですので、その多少の縁だけでここまですることに違和感を覚えます。
柳田國男が泊まったうんぬんはともかく、当時の宿の様子が分かるのは貴重なことです。
それもまたひとつの「民俗学」です。
火鉢や囲炉裏があるところは今とは違いますが、本当に当時のままなのでしょうか。
神棚に貼られた切り絵は如何にもそれらしい風ですが、どうなんでしょうか。