田中正造の足跡を辿る旅を目指しながら、2日の間に行ったのはわずか三か所に留まりました。
足尾銅山鉱毒事件の活動を潰すために、古河財閥に操られた国と県が廃村に追い込んだ旧谷中村は現在、渡良瀬遊水地となっています。その遊水地は、権力の横暴とそれに蹂躙される無力な市民の悲哀の象徴であり、それを忘れるわけにはいきません。
しかし、昨年2019年の台風19号の大水において下流の洪水を防いだのもまた紛れもない事実です。これをどう辻褄を合わせるべきかについて結論は持ち越したままです。
さて、足利市にある渡良瀬橋にやってきました。
渡良瀬橋北側の少し東には、渡良瀬橋の歌碑が建てられています。
「渡良瀬橋」という歌は、渡良瀬橋を中心に落ち着いたメロディーで足利の街を讃えた曲なので、森高千里のファンでなくても楽しめるものと思います。
渡良瀬橋で見る夕日です。
曇りがちですが、なんとか見れました。
歌がリリースされたのは27年もの昔の1993年1月のことです。
街並みが変わっているとしても仕方ありません。
八雲神社です。
諸般の事情により繁盛しているように見受けられます。
ポツンとした公衆電話が床屋の角にありました。
以上で、東京に戻りました。渡良瀬川の河原に降りることはできなくもありませんでしたが、北風で風邪をひくわけにはいかなかったので。