2020年1月17日金曜日

足尾銅山観光/Ashio Copper Mine Museum

通洞駅を出てすぐにある突き当りを右に曲がり進んでいくと、数分で足尾銅山観光に着きます。
入館料は830円です。こんなに高い入館料の博物館はそう滅多にあるものではありません。
ボリュームは乏しく、1時間程度で見終えることができる程度です。
見ることができるのは、通洞と呼ばれる足尾銅山を横に貫く一本の坑道のほんの一部です。そこに坑夫の格好をしたマネキンが置かれており、当時の鉱山の様子を伝えています。
かつて用いられていた坑道に坑夫・坑女のマネキンを置いて当時の採掘の様子を説明していますが、このようなスタイルは他の観光用鉱山でも見れられるものです。
わざわざ、時間をかけてやってきて830円もの大金を払ってまで見なければならないようなものではありません。
わたしが遠くからわざわざ関東の辺境の地までやって来たのは、足尾銅山が他の鉱山と比べて特別だからです。
何が特別かといえば、それは当然に鉱毒問題です。
日本には、足尾銅山以外にも多くの鉱山があります。金山も銀山も銅山もあります。
どの鉱山にも鉱毒による環境問題は少しはありますが、足尾銅山のように周辺の山が禿山になり、100年以上経っても植林の成果が上がらないようなところはありません。
川の魚が死に絶えたり、渡良瀬川沿岸の田畑の作物が枯れて農業ができなくなったのは足尾銅山しかありません。
なぜ他の鉱山で防げたものが足尾銅山では防げなかったのか、それを知りたくてわたしは高いお金と長い時間をかけてここにやってきたのです。
この足尾銅山観光には、公害の「こ」の字も、田中正造の「た」の字もない、というのは言い過ぎで、少しはありますが、ほとんどないようなものです。
ところどころありましたが、強調されているわけではなく、まるで遠い昔の過去の出来事のように軽く触れているだけです。
足尾銅山鉱毒問題は、100年前の出来事ではなく、今現在も続いている問題です。
山も、渡良瀬川流域の田畑も、まだ完全に回復していません。
大雨が降るたびに渡良瀬川川底に沈んだ鉱毒は流れ出ていますし、渡良瀬遊水地湖底の鉱毒も残ったままです。
足尾銅山観光では、この深刻な鉱毒問題の概要を学ぶことはまったくできません。
現在にも及ぶ公害についても沈黙したままです。
こういうのを「反省がない」というのです。
足尾銅山が他の鉱山と異なるのは、この未曾有の被害をもたらした公害問題です。
そのような特殊性があるにもかかわらず、それについて沈黙を続けるというのは、無責任の最たるものです。
東京電力福島第一原子力発電所が放射性物質を撒き散らし続けている今こそ、足尾銅山観光は率先して、公害対策を軽んじた経済活動がどれだけ長期にわたって広範な環境汚染をもたらすのかを伝える場になるべきですが、その社会的責任を果たしていません。
足尾では田中正造も足尾銅山鉱毒問題もタブーとのことですが、その禁忌を破って足尾を新しく生まれ変わらせる勇気のある人物は出てこないものなのでしょうか。