足尾鉱毒事件田中正造記念館は、館林駅から東に1kmほど徒歩で十数分のところにあります。
田中正造を中心とした足尾銅山鉱毒事件について知りたければここに行くべきです。
運営はNPO法人が行っています。入館は無料です。わたしは寄付しましたが。
注意すべきこととして、毎日開館しているわけではないので、行く時には開館日かどうか確認しておく必要があるでしょう。
解説員がおり、展示されたパネルに従って、順序よくポイントをついた説明をしてくれます。
事前に予習していれば分かることですが、説明は簡潔に要点をついたもので素晴らしいものでした。誇張はなく過不足もありません。もちろん予習していなくても理解できるような展示されています。
田中正造記念館は、足尾銅山鉱毒事件と田中正造の語り部として、おそらく日本でトップレベルの施設だと思われます。
経済を優先して環境を無視することの代償は非常に大きいものであるにもかかわらず、まして政治と癒着することの危険性は計り知れないというのに、こうしたことをしっかり語り継ぐ施設は多くありません。
そのような中、田中正造記念館は「田中正造記念館」を名乗るにふさわしい学習の場でした。
さて、渡良瀬川流域は鉱毒による汚染によって被害を受けた地域でしたが、元は染色業が盛んな地だったようです。もちろん、度々氾濫する渡良瀬川が肥沃な土を届けてくれるので漁業も盛んな地でした。ニホンカワウソもいました。
田中正造記念館がある館林も被害地域です。利根川を境にそれよりも上の地域が被害地域になったのは、利根川からの取水が禁じられていたためです。
日本には足尾銅山以外にも多くの鉱山がありますが、足尾銅山だけが深刻な公害をもたらしたのは、古河財閥の創始者古河市兵衛が農商務大臣である陸奥宗光(むつむねみつ)の息子を養子にし社長に据えたり、後に平民宰相ともてはやされることになる原敬を副社長に据えたりして、有力な政治家を取り込んでいたからです。これでは監督官庁も手が出せません。
政治と癒着することで強大な権力を手にすることができます。そうすることで、古河市兵衛ら古河財閥は、自己の利益のために周辺住民の生命や健康、財産を、そして大地とそこに住まう他の生き物諸々を蹂躙していったのです。
死の川となった渡良瀬川はその後の何度かの大水によって鉱毒が押し流されて少しずつ回復していきました。
下のサケは、市民たちが自主的に行った放流の成果です。
それでも、今なお鉱毒の影響は残っています。芽を出しても枯れていた時代と比べれば前進していますが、まだ心持たない成長具合です。
足尾銅山鉱毒事件は100年前の過去の公害問題ではなく、今なお続く公害問題なのです。
足尾銅山の禿具合もご覧のとおりです。
過ちから学び繰り返さないようにしなければなりませんが、今の政治と経済の状況では期待薄です。