静岡県掛川市は、なぜか新幹線が停まるものの、立ち寄るべきところはないように思えるところですが、そこには「加茂荘」という江戸時代の大きな庄屋屋敷があります。今度わたしは、大きな家が理想的な住まいかどうかを考えるために加茂荘を訪れることにしました。
加茂荘へは、JR掛川駅で天竜浜名湖鉄道に乗り換え、同線の原田駅まで行きます。
さらにそこからは徒歩20分ほどのところに加茂荘はあります。
加茂荘は、掛川駅からタクシーで行くにはやや遠く、かといって原田駅からタクシーは出ておらず、それならば歩いてその地域を感じとった方が総合的な理解につながると考えました。
加茂荘は山際にあります。この写真では、外構が見えています。
漆喰が塗られた外構に囲まれています。
屋敷の前には菖蒲を栽培している浅い池があります。
菖蒲は、訪問者が観賞が鑑賞するためだけに栽培されているわけではなく、販売もされています。
家の前の庭で花を栽培し、管理し、販売する暮らしなんて最高だと思います。
もちろん、それだけで生活が維持できるかと言うと、それなりの工夫が必要でしょう。
わたしとしては、これで旅の目的を十分果たすことができました。
次は、屋敷についてです。
加茂荘は現存する庄屋屋敷の中では最大規模ものです。
そして、多くの人がこの加茂荘に注目するのも、それが「大きなお家」だからでしょう。
なぜ加茂荘がこうにも大きいのかと言うと、端的にそれは、使用人等を含め多くの人がこの屋敷に出入りしていたからです。
もし、今の時代に、独りないし3人程度の家族で暮らすとしたら大きすぎるでしょう。
これだけ広いと、朝に雨戸を開け、部屋の掃除をしていたら、それだけで日が暮れてしまいそうです。
結局、忙しい現代人が、大きな家か小さな家かを選ぶとしたら、「小さな家」を選ばなければなりません(家のサイズが富に比例すると考えて、それを見せびらかそうとするのでなければですが)。
では、これだけの広さがなければならない大家族だとしたらどうかと言うと、人が多すぎて快適ではないと思います。
空間を共有する人が多ければ多いほどトラブルは生じやすいからです。家族であっても生活も考えも個々様々だからです。むしろ、上下関係のある使用人との関係の方が、問題は少ないのかも知れません。
土間です。外と内の境界です。
黒くなっているので実際に使われたものと思われますが、このカマドが使われることはもはやないでしょう。
加茂荘とはあまり関係ありませんが、燃料を燃やして熱を得る調理方法と比べると、電子レンジや電磁調理器は異次元的な調理器具だと言えます。
庭の様子です。
管理が行き届いているので良いですが、この状態を維持するのには時間と手間がかかります。
新興住宅地では、家主の生活が忙しいのか、雑草を生やしたままの戸建ても珍しくありません。しかし、それでは庭付きの家に住む意味がありません。
現代に生きる人々にとって、庭が負担になるということは十分ありえることです。庭がなくても家庭は築けます。
このような中庭を眺めることができるのも、普段からの計画的な管理があってこそです。
「庭師を雇えばいいじゃない」と言われてしまいそうですが、他人が人の家の中を動き回るというのも生活を複雑化させジレンマです。
樽では生活できません。四畳半は、若干狭い気もしますが、手が届く範囲でおおむねすべてのことが解決するので、最もシンプルな生活をおくれるように思います。
モノを持ちすぎるのも面倒が増えてよくありませんから、モノの上限としても四畳半はひとつの目安になるでしょう。
飾られていた美人画です。油絵ですから近代以降の絵と思われますが、描かれた当時においては典型的な美人だったのだと思います。
飾っておきたい気持ちは分かります。わたしもフェルメールのコピーを飾っていますから。
こちらは現代の美人画です。これらも加茂荘に展示されていました。
明日は、甲州の甘草屋敷へ行く予定です。