2015年12月17日木曜日

甘草屋敷/Takano's Old Homestead

昨日は掛川の大庄屋屋敷「加茂荘」に行ってきましたが、本日は山梨県甲州市、JR塩山駅すぐそばにある甘草屋敷にやって来ました。わたしの中で両者は同じコンセプトをもった存在です。大きな屋敷と、その前に広がる栽培スペース。加茂荘は、家の前で菖蒲を栽培していましたが、甘草屋敷では、カンゾウという漢方で使われるマメ科の植物を栽培しています。
加茂荘は庄屋の屋敷でしたが、甘草屋敷は長百姓の屋敷です。長百姓とは庄屋ではなく、それに次ぐ程度の有力な農家のことです。しかし、そのような階級に基づく分類は、この記事においてはまったく意味がありません。実際のところ、甘草屋敷は幕府にカンゾウを献上する御用達でした。
甘草屋敷の最大の外観的特徴はその屋根にあります。切妻造ですが、中央に突き上げ屋根があり、そこはかとなくモダンな感じがします。
屋根は、今は銅板が葺かれており立派に見えますが、元々は茅葺でした。
これは屋敷内に展示されていた写真です。
昭和10年撮影とのことです。
これも展示されている模型です。
茅葺だと印象が異なりますね。
2階から「薬草広場」のある南側を写した写真です。
手前に見えるのが甘草の栽培スペース「甘草園」です。
かつての日本の甘草の栽培地ということで、ここでも最近になって試験的な栽培が行われるようになりましたが、これだけの量ではどうにもなりません。日本は甘草(ウラルカンゾウ)については輸入に依存していますが、産出国である中国やモンゴルでは狩猟的な甘草の採取が行われており、つまりは、自然に生えているものを掘り出すことしかしていないため、今の状況が続けば近いうちに取り尽くされてしまいます。
そのため、国内で栽培・生産しようとする動きがあちこちで見られています。
円筒形の筒が立て掛けられているのが見えますが、根茎を採取しやすいように1mほどの塩ビパイプを用いる栽培方法が研究されています。
日本で栽培する場合は、コストが特にネックになりますが、地面を手や重機で掘り返すよりは筒の方が都合が良いでしょう。乾燥した状態を作り出し水ストレス状態を保つためにも望ましい方法のように思えます。といっても、土の入ったパイプを運ぶのは重労働ですし、モンゴルのような寒さと乾燥を高温多湿の日本の平地で再現することは容易ではありません。
さて、屋内です。襖が外されているので広さがひと目で分かります。
この程度の広さならなんとか管理できなくもありません。しかし一人では広すぎるかも知れません。
縁側です。外でもなく内でもないあいまない境界です。作業の合間に茶を飲んだり菓子を食べたりできそうです。
このような軒先は、今ではほとんど見られなくなりましたが、その代わりに「ウッドデッキ」が作られたりしています。
甘草にどれだけ需要があろうと、日本の高い土地で何年も時間を掛けて栽培し、それを日本人が採取していては計算があいません。
家の前の庭で何かを育てる生活は、なかなか難しいように思います。
これは2階の様子です。かつては蚕が飼育されていました。富岡製糸場があった群馬が養蚕業のメッカだったこともあり、関東以北では養蚕は珍しくなく、2階で蚕を飼うというのはよくあることでした。
食べるための農業も必要ですが、カネを産む農業も必要です。
大黒柱です。今やこのような材木を手に入れることはほとんど不可能です。
このような木があるところといえば、神社くらいしか思いつきませんが、神社から大木を購入するルートは、通常は、ありません。
この大黒柱だけでも、「立派」な家であることが分かります。
昔の人/多くの人にとって大きな家は富の象徴でありステイタスでもありましたが、ここも加茂荘も、そうした虚栄心のためではなく、実務的な必要からそのような大きさになったものです。
側面からみた甘草屋敷です。合掌造りが思い出されますが、屋根の勾配は合掌造りの方が急峻です。
甘草屋敷は、主屋と薬草園しかなかったわけではありません。複合的な建物によって、甘草の栽培が行われていました。
結構な広さです。これだけ広いと管理しているだけで一生が終わってしまいそうです。

2015年12月16日水曜日

加茂荘/The Kamo

静岡県掛川市は、なぜか新幹線が停まるものの、立ち寄るべきところはないように思えるところですが、そこには「加茂荘」という江戸時代の大きな庄屋屋敷があります。今度わたしは、大きな家が理想的な住まいかどうかを考えるために加茂荘を訪れることにしました。
加茂荘へは、JR掛川駅で天竜浜名湖鉄道に乗り換え、同線の原田駅まで行きます。
さらにそこからは徒歩20分ほどのところに加茂荘はあります。
加茂荘は、掛川駅からタクシーで行くにはやや遠く、かといって原田駅からタクシーは出ておらず、それならば歩いてその地域を感じとった方が総合的な理解につながると考えました。
加茂荘は山際にあります。この写真では、外構が見えています。
漆喰が塗られた外構に囲まれています。
屋敷の前には菖蒲を栽培している浅い池があります。
菖蒲は、訪問者が観賞が鑑賞するためだけに栽培されているわけではなく、販売もされています。
家の前の庭で花を栽培し、管理し、販売する暮らしなんて最高だと思います。
もちろん、それだけで生活が維持できるかと言うと、それなりの工夫が必要でしょう。
わたしとしては、これで旅の目的を十分果たすことができました。

次は、屋敷についてです。
加茂荘は現存する庄屋屋敷の中では最大規模ものです。
そして、多くの人がこの加茂荘に注目するのも、それが「大きなお家」だからでしょう。
なぜ加茂荘がこうにも大きいのかと言うと、端的にそれは、使用人等を含め多くの人がこの屋敷に出入りしていたからです。
もし、今の時代に、独りないし3人程度の家族で暮らすとしたら大きすぎるでしょう。
これだけ広いと、朝に雨戸を開け、部屋の掃除をしていたら、それだけで日が暮れてしまいそうです。
結局、忙しい現代人が、大きな家か小さな家かを選ぶとしたら、「小さな家」を選ばなければなりません(家のサイズが富に比例すると考えて、それを見せびらかそうとするのでなければですが)。
では、これだけの広さがなければならない大家族だとしたらどうかと言うと、人が多すぎて快適ではないと思います。
空間を共有する人が多ければ多いほどトラブルは生じやすいからです。家族であっても生活も考えも個々様々だからです。むしろ、上下関係のある使用人との関係の方が、問題は少ないのかも知れません。
土間です。外と内の境界です。
黒くなっているので実際に使われたものと思われますが、このカマドが使われることはもはやないでしょう。
加茂荘とはあまり関係ありませんが、燃料を燃やして熱を得る調理方法と比べると、電子レンジや電磁調理器は異次元的な調理器具だと言えます。
庭の様子です。
管理が行き届いているので良いですが、この状態を維持するのには時間と手間がかかります。
新興住宅地では、家主の生活が忙しいのか、雑草を生やしたままの戸建ても珍しくありません。しかし、それでは庭付きの家に住む意味がありません。
現代に生きる人々にとって、庭が負担になるということは十分ありえることです。庭がなくても家庭は築けます。
このような中庭を眺めることができるのも、普段からの計画的な管理があってこそです。
「庭師を雇えばいいじゃない」と言われてしまいそうですが、他人が人の家の中を動き回るというのも生活を複雑化させジレンマです。
樽では生活できません。四畳半は、若干狭い気もしますが、手が届く範囲でおおむねすべてのことが解決するので、最もシンプルな生活をおくれるように思います。
モノを持ちすぎるのも面倒が増えてよくありませんから、モノの上限としても四畳半はひとつの目安になるでしょう。
飾られていた美人画です。油絵ですから近代以降の絵と思われますが、描かれた当時においては典型的な美人だったのだと思います。
飾っておきたい気持ちは分かります。わたしもフェルメールのコピーを飾っていますから。
こちらは現代の美人画です。これらも加茂荘に展示されていました。
明日は、甲州の甘草屋敷へ行く予定です。